ディズニー黄金期とはどんな時代?大ヒットの裏に隠されたディズニーの歴史とは?
ウォルト・ディズニー・カンパニーの歴史においてかかせない黄金期についてまとめました。「ディズニー・ルネサンス」とも呼ばれるディズニー黄金期には様々な過去が存在します。歴史を語ることはもちろん、ディズニー黄金期と呼ばれる時代に公開された作品もご紹介しましょう。
こんにちは、ディズニー大好き、ワーママのぴょこです。
今回皆さんには、ディズニーの黄金期である「ディズニー・ルネサンス」の歴史と作品をご紹介したいと思います。
大ヒットの裏にはどのような歴史があったのか、黄金期の作品にはどのようななものがあったのかなど、黄金期のディズニーについて迫っていきましょう。
・ディズニー黄金期の作品
・ディズニー黄金期の歴史
- ◆ディズニーの始まり
- ◆暗黒期の始まり
- ◆黄金期(ディズニー・ルネサンス)の到来
- ◆CGアニメーションによるディズニー作品の衰退
- ◆2回目の黄金期の到来
・ディズニー黄金期を支えた音楽たち
ディズニー黄金期とは?
ディズニー黄金期とは、別名「ディズニー・ルネサンス」とも呼ばれる、ウォルト・ディズニー・カンパニーが商業的成功を収めた時代を指します。
一般的には1989年から2000年近くまでの期間を指します。
今回は、その期間に加えて、2000年以降に低迷した後復活した2010年以降を2回目の黄金期と考えて、ご紹介していきたいと思います♡
ディズニー黄金期の作品
ディズニー黄金期を彩る作品を一挙ご紹介します。
1回目のディズニー黄金期と2回目の黄金期に分けていますが、観たことはなくても聞いたことのある作品ばかりではないでしょうか。
ディズニー黄金期の歴史
続いて、ディズニー黄金期の歴史をご紹介しましょう。
ディズニーの黄金期を語る上で重要なディズニーの歴史を交えながら解説していきます。
◆ディズニーの始まり
アニメーターであったウォルト・ディズニーは、兄であるロイ・O・ディズニーと共に、1923年10月16日にディズニー・ブラザース・カートゥーン・スタジオを設立しました。
会社が大きくなるにつれ、社名を変えどんどん成長していくウォルト・ディズニー社。
自社キャラクターであるオズワルドの登場により、さらに世界にディズニーの名前が知れ渡るようになりました。
しかし、配給先にオズワルドの権利を取られてしまい、さらには多くのアニメーターが引き抜きにあってしまい倒産寸前まで追い込まれたのです。
ウォルト・ディズニーは悲しみつつも会社を存続させることを誓いました。
そして、新たな自社キャラクターとしてミッキーマウスが生まれたのです。
ミッキーはどんどんと知名度を上げ、ウォルト・ディズニーの地位は確立されていきました。
◆暗黒期の始まり
『白雪姫』や『シンデレラ』、『不思議の国のアリス』、『ピーターパン』、『眠れる森の美女』といった名作が公開されていく中で、ウォルト・ディズニーは1966年12月15日に病気で亡くなってしまいました。
そしてディズニーを支えてきたアニメーターたちが相次いで退職していきました。
ウォルト・ディズニーと中核のアニメーター達を失ったディズニー社は失速し、約20年近くヒット作に恵まれることのない暗黒期を迎えることとなったのです。
・ディズニーの暗黒期とはどんな時代?暗黒期到来の理由から復活のきっかけまで解説
◆黄金期(ディズニー・ルネサンス)の到来
ディズニー社は、前々から目をつけていたアンデルセンの童話『人魚姫』をミュージカル風にアニメで再現しようという計画を実行することを決定!
当時ブロードウェイ・ミュージカルで成功を納めていた作詞家のハワード・アッシュマンと作曲家のアラン・メンケンをの手により、1989年11月14日に『リトル・マーメイド』が公開されることとなりました。
その『リトル・マーメイド』は、『リトルフット』の最高興行収入のアニメ映画記録を超える快挙を上げ、主題歌「アンダー・ザ・シー」はアカデミー歌曲賞を受賞するなど、次々と歴史を塗り替えていきました。
1991年には『美女と野獣』が公開され、初めてアカデミー作品賞にノミネートされました。
続いて、『アラジン』や『ライオン・キング』などのヒット作が次々登場し、ディズニーは黄金期を迎えました。
◆CGアニメーションによるディズニー作品の衰退
しかし、ディズニーの黄金期は長くは続きませんでした。
ピクサー社を中心とするCGアニメーションが人気となっていったからです。
『トイ・ストーリー』や『モンスターズ・インク』などピクサー社の活躍がめざましく、ディズニー単体での作品人気が停滞し始めました。
◆2回目の黄金期の到来
そんな2回目の暗黒期を救ったのが、2010年に公開された『塔の上のラプンツェル』でした。
ラプンツェルは、ディズニー初のフルCGアニメーションで描かれたプリンセスとして登場。
自分で道を切り開く新時代のプリンセスの姿は特に女性の心を掴み、挿入歌「輝く未来」はアカデミー賞歌曲賞にノミネートされるなど、ディズニー50番目のアニメとして大成功を収め、ディズニーは2回目の黄金期を迎えることになったのでした。
その『塔の上のラプンツェル』以降、ディズニーではヒット作が続きます。
中でも2013年に公開された『アナと雪の女王』は日本でも社会現象が起きるほどの興行収入を記録しました。
フルCG作品の完成度の高さや新しいプリンセス像が世間とマッチングしたことが功を奏したのかもしれませんね。
その後も『ズートピア』や『アナと雪の女王2』など、ヒットに恵まれるようになっていきました。
ディズニー黄金期を支えた音楽たち
ディズニー黄金期を支えたのは、ほかならぬ名曲の数々です。
ディズニーでは『リトル・マーメイド』以降特にミュージカル志向の作品が多く作られるようになりました。
中でも作曲家として8作品のアカデミー賞を受賞した作曲家のアラン・メンケンの功績が大きいと言われています。
作詞家のハワード・アシュマンと共に『リトル・マーメイド』の音楽を手がけることとなりましたが、主題歌である『アンダー・ザ・シー』はアカデミー歌曲賞に選出され、アラン・メンケンはアカデミー作曲賞も受賞する快挙を上げることになったのです。
『美女と野獣』でもアカデミー賞を受賞するなど、天才コンビの活躍でディズニーは安泰かと思われました。
しかし、『アラジン』の作曲中にハワード・アシュマンが病気で亡くなってしまったのです。
ハワードが亡くなったことで、ディズニー黄金期に陰りが見え始めてきましたが、アラン・メンケンはもちろん、ハワードの後継者達の活躍が素晴らしく、『アラジン』はもちろん、『ポカホンタス』や『ノートルダムの鐘』、『ヘラクレス』など、次々と名曲を生み出していきました。
しかし、アラン・メンケンは自分の原点であるミュージカルでの仕事に集中するようになり、一部の仕事をのぞき、ディズニーと距離が離れていきました。
そんなアラン・メンケンが『塔の上のラプンツェル』でアニメーションの作曲家として復帰することとなり、「輝く未来」でアカデミー賞の歌曲賞を受賞することとなりました。
その復帰作が、ディズニー第2の黄金期の始まりをもたらしてくれたことになります。
アランの力がどれだけディズニーの黄金期を支えているかがわかりますね。
・アラン・メンケンのディズニー楽曲ベスト10!映画やアトラクションで聴ける名曲をランキング
まとめ
いかがでしたか?
ディズニーの黄金期についてご紹介しました。
ディズニーの歴史を語る上で黄金期の存在は大きいことがお分かりいただけたでしょうか。
もし、まだ観たことがない作品があれば是非視聴してみてくださいね♡
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