ウォルト・ディズニー・カンパニーの歴代CEOを紹介!経営方針や映画、パークの方向性の違いも解説
今回は、ウォルト・ディズニー・カンパニーの歴代CEOの7名を紹介します!CEOとは、会社の最高経営責任者を指します。歴代CEOの遍歴を並べると、個々人の経営方針によって、映画やパークの方向性の違いが見て取れますよ。東京ディズニーランドのオープンや、ピクサーやマーベルの買収などのディズニー史もチェックしてくださいね♪
こんにちは。ディズニーリゾート大好き2歳と4歳の2児のママTommyです。
今回は、ディズニーのイメージを大きく左右してきた、歴代CEOを紹介します!
CEOとは最高経営責任者を指しますが、どういった役割を担っているかよく知らない方も多いのではないでしょうか。
ディズニーの歴史を振り返ってみると、歴代CEOの経営方針が映画やパークに影響を与えていることがわかりますよ。
さっそく見ていきましょう。
・1代目:ロイ・O・ディズニー(1929-1971)
・3代目:E・カードン・ウォーカー(1976-1983)
・5代目:マイケル・アイズナー(1984-2005)
・5代目:ロバート・A・アイガー(2005-2020)
ディズニーの歴代CEOは全部で7人
ウォルト・ディズニー・カンパニーでは、現任も含め合計7名がCEOを務めてきました。
・ロイ・O・ディズニー(1929-1971)
・ドン・B・テータム(1971-1976)
・E・カードン・ウォーカー(1976-1983)
・ロナルド・W・ミラー(1983-1984)
・マイケル・アイズナー(1984-2005)
・ロバート・A・アイガー(2005-2020)
・ボブ・チャペック(2020-現在)
なかでも特にウォルト・ディズニー・カンパニーに影響を与えたCEOを紹介します。
1代目:ロイ・O・ディズニー(1929-1971)
ロイ・オリヴァー・ディズニーは、1893年6月24日生まれで、ウォルト・ディズニーの実の兄です。
ウォルト・ディズニー・カンパニー設立者の1人でもあるロイは、もともと銀行員として働いていました。
しかし、ウォルトがアニメーション制作に熱中するあまり資金繰りに失敗しスタジオを倒産させてしまったことをきっかけに、経営面をサポートするようになりました。
そして、ウォルトとロイは1923年に現在のウォルト・ディズニー・カンパニーを設立。
ミッキーマウスや、1937年に公開された世界初の長編アニメーション映画『白雪姫』が世界的に大ヒットして会社が大きくなる中、ロイは経営面で会社の事業拡大に貢献しました。
ロイは、高齢を理由に1960年代に引退を考えましたが、ウォルトが1966年に死去したことを受けて引退を延期し、構想を進めていたディズニー・ワールド計画を引き継ぎました。
フロリダ州オーランドに建設されたウォルト・ディズニー・ワールドは、1971年10月1日に無事にオープンし、現在では世界で最も訪問されたバケーションリゾートとして成長しました。
ロイは、世界中に存在するディズニーパークの第一歩を切り拓いた人物と言っても過言ではありません。
ちなみに、ウォルト・ディズニー・ワールドのマジックキングダムにあるアトラクション「ウォルト・ディズニー・ワールド・レイルロード」で走っている4台の蒸気機関車のうち、4号にはロイの名前が付けられています。
また、東京ディズニーランドのワールドバザールにはベンチに座るロイとミニーの像がありますよ♪
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3代目:E・カードン・ウォーカー(1976-1983)
エズモンド・カードン・ウォーカーは、1916年1月9日生まれ。
1968年に副社長に就任すると、ウォルト・ディズニー・ワールド計画の副監督として、当時CEOを務めていたロイ・O・ディズニーのサポートをしました。
1975年には、当時代表取締役社長であったウォーカーが、ウォルト・ロイのディズニー兄弟の夢だったエプコットの建設計画を立ち上げ、1982年にオープンさせました。
そして1976年にCEOに就任し、1983年にはテレビでディズニー・チャンネルを開設し、アジア初のディズニー・テーマパーク「東京ディズニーランド」をオープンさせました。
1983年にアメリカで放送を開始したディズニー・チャンネルは、1990年代にはイギリスを始めとする海外での放送が始まり、2000年代には60以上の国と地域で放送される世界的なチャンネルに成長。
ウォーカーにより、ウォルト・ディズニー・ワールドを訪れたことがない人たちも、ディズニー作品と触れ合う機会ができました。
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5代目:マイケル・アイズナー(1984-2005)
マイケル・ダマン・アイズナーは1942年3月7日生まれです。
テレビネットワークのABC社に入社後、テレビプロデューサーとして活躍し、パラマウント映画の映画プロデューサーとして功績を残しました。
功績が認められ、1984年にウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOに就任します。
当時、ディズニーの業績は悪化していたため、アイズナーは好転するべく、映画やアニメ、テーマパークなどすべての事業を立て直し、加えて新規事業を展開しディズニーの売上高と株価を倍増させました。
しかし、強烈な個性を持っていて、何にでも口を出さないと気が済まない性格から、CEOに就任以来、創業者一族とは激しい対立が続いていました。
クリエイターとしての素質も残念ながら乏しく、安易なシリーズものを連続して発表したため、ディズニーアニメ映画制作の品質を落としてしまいました。
また、同じように強烈な個性を持つピクサーのスティーブ・ジョブズとも激しく対立してしまいます。
経営者としては極めて優秀な功績を残す反面、周りの人たちとの繋がりやディズニーアニメ映画の伝統の維持では大きく失敗をしてしまったため、マイナスのイメージを持たれたCEOでもあります。
5代目:ロバート・A・アイガー(2005-2020)
ロバート・アレン・アイガーは1951年2月10日生まれで、ディズニーの救世主とも言われているCEOです。
アイガーは、国内外のディズニーパークだけの単体収益だけでなく、パークの周辺にオフィシャルホテルを数多く作り、ディズニーの世界観の規模を広げました。
日本の「アンバサダーホテル」「ホテルミラコスタ」「ディズニーランドホテル」のオープンも、アイガーの経営方針から影響を受けて建設されたのではないでしょうか。
アイガーは、ディズニーアニメの放映権に加えて、ビデオコンテンツにも手をつけ、家庭用ビデオ市場に参入しました。
結果として、1937年に公開された『白雪姫』のビデオリメイクだけでも200万本以上を売り上げる大成功を収めます。
また、前CEOアイズナーによって品質が落ちたとされていたディズニーアニメ映画のクリエイターとしても手腕を発揮し、世界的大ヒットが印象に残る「アナと雪の女王」を始め、数々のヒット作を輩出し、品質を向上させました。
社交的なアイガーは、ピクサーのスティーブ・ジョブズとも親交を深めることに成功し、友好的な関係のもと、2006年にピクサー・アニメーション・スタジオを買収。
ピクサーは「トイ・ストーリー」シリーズをはじめとする現在も人気の高いアニメーション映画作品を制作するようになりました。
さらに2009年にはマーベル・コミックを、2012年にはルーカス・フィルムを買収し、2018年には21世紀フォックスを買収し、ディズニーの傘下に入れました。
ディズニーの映像サブスクリプション「Disney+」では、幅広い世代が支持する映画作品の鑑賞が可能になり、新たな売上高を生み出すことに成功。
救世主と言われるほど大成功を収めたCEOではありますが、ルーカスフィルム買収後、ジョージ・ルーカスから提案されたスター・ウォーズの続編脚本案を却下し、ルーカスがスター・ウォーズの制作から離れる原因を作ってしまいました。
往年のスター・ウォーズファンからすると、悲しいニュースですよね。
ルーカスの描くスター・ウォーズの続編を観てみたかったファンも多いのではないでしょうか。
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まとめ
ディズニーの歴代CEOの一部を紹介しました。
時代の移り変わりと、CEOの手腕によって、ウォルトの信念を保ちながら進化を続けてきたディズニー。
今後の更なる進化が楽しみですね。
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