【ディズニー】シャーマン兄弟ってどんな人?経歴やディズニーとの関係を徹底解説!
みなさんはシャーマン兄弟を知っていますか。実はシャーマン兄弟はディズニーにとって重要な役割を果たした作曲家の兄弟なんですよ♪あなたのお気に入りの作品のあの曲は、シャーマン兄弟が手掛けた曲かも!?今回は、シャーマン兄弟と呼ばれるロバートとリチャードの経歴やディズニーとの関係、代表楽曲を紹介します。
こんにちは。ディズニーリゾート大好き2歳と4歳の2児のママTommyです。
みなさんは、シャーマン兄弟と呼ばれるロバートとリチャードの2人を知っていますか。
シャーマン兄弟は、とくに初期のディズニーアニメーション映画で大きな役割を果たした作曲家の兄弟なんですよ。
今回はシャーマン兄弟の経歴やディズニーとの関係、シャーマン兄弟が作曲した代表的な楽曲を紹介します。
・シャーマン兄弟:弟「リチャード・シャーマン」
・シャーマン兄弟:ウォルト・ディズニーとの出会い
- ◆イッツ・ア・スモールワールド「小さな世界」
- ◆メリーポピンズ(1965)
- ◆ジャングル・ブック(1967)
- ◆おしゃれキャット(1970)
- ◆くまのプーさん完全保存版(1977)&ティガー・ムービー プーさんの贈りもの(2000)
- ◆魅惑のチキルーム&ミート・ザ・ワールド
シャーマン兄弟:兄「ロバート・シャーマン」
ロバート・シャーマンは、1925年12月19日生まれの、アメリカ合衆国の作曲家です。
ニューヨーク出身で、ロシア系ユダヤ人の両親のあいだに生まれました。
ロバートの父親は、ティン・パン・アレー(マンハッタンの28丁目とブロードウェイの6番街に挟まれた一角で、音楽関係の会社などがあった)の、有名なソングライターでした。
ロバートは、幼い頃からバイオリン、ピアノ、絵画、詩といった芸術の才能がありました。
7年間、国をまたいだ引越しを繰り返したのち、カリフォルニア州のビバリーヒルズに定住し、ビバリーヒルズ高校へ進学しました。
高校生の時には、すでに、ラジオや舞台のシナリオを書いたり、制作をしたりして高い評価を受けていたんですよ。
しかし、17歳の時に軍隊に入隊したロバートは、第二次世界大戦で多くの辛い経験をしてひざを負傷し、残りの人生を義足で歩むことになりました。
その後、ウォルト・ディズニーの目にとまり、ディズニーの楽曲を制作するようになります。
2002年にイギリスのロンドンに移住したロバートは、作曲や絵画を制作して活動を続けます。
2012年3月6日に86歳で亡くなっています。
シャーマン兄弟:弟「リチャード・シャーマン」
リチャード・シャーマンは、1928年6月12日生まれの、アメリカ合衆国の作曲家です。
兄のロバートより3歳年下です。
リチャードも、兄のロバートと同じビバリーヒルズ高校へと進学しました。
ソングライターの父や兄からの影響もあり、音楽に夢中になったリチャードは、フルート、ピッコロ、ピアノなどいくつもの楽器について学びました。
1946年の高校の卒業式では、同級生のアンドレ・プレヴィンとピアノとフルートによる二重奏を披露したこともあったそうですよ。
リチャードは、バード・カレッジで音楽を専攻し、数多くのソナタや「アート・ソング」を作曲しました。
リチャードは偉大なるアメリカの交響曲を書きたいとの大きな野望を持っていて、その野望が作曲家としての成功へと繋がっていきます。
シャーマン兄弟:ウォルト・ディズニーとの出会い
リチャードがカレッジを卒業した後、ロバートとリチャードのシャーマン兄弟は、ソングライターであった父親の影響を受け、一緒に作曲を始めました。
1958年、シャーマン兄弟は音楽出版会社「ミュージック・ワールドコーポレーション」を設立し、アネット・フニチェロが歌う「Tall Paul」の作曲で成功をおさめました。
成功はウォルト・ディズニーの目にも留まり、ウォルト・ディズニー・スタジオのソングライタースタッフとしてチームに加わることになります。
シャーマン兄弟は、ウォルトが亡くなる1966年までウォルトのもとで働き、のちに退社しています。
退社後は、フリーランスのソングライターとして、映画、テレビ番組、テーマパークの展示物、舞台ミュージカルなどの作曲を手掛けました。
フリーランス時代にも、ディズニー作品に携わり、大ヒットをおさめているんですよ!
シャーマン兄弟が手掛けたディズニーの作品は以下の通りです。
◆イッツ・ア・スモールワールド「小さな世界」
世界中のディズニーパークにあるアトラクション、イッツ・ア・スモールワールド内で流れる曲「小さな世界」を制作したのが、シャーマン兄弟です。
イッツ・ア・スモールワールドは、1964年に開催されたニューヨーク世界博覧会のためにウォルト・ディズニーが制作したアトラクションで、ウォルトの理念や理想を表したディズニーを代表するアトラクションと言われています。
シャーマン兄弟はイッツ・ア・スモールワールドにテーマソングが必要だと考え、「小さな世界」を書き下ろしました。
当初は現在と編曲が異なり、スローバラードでしたが、プレゼンを受けたウォルトの希望により、現在使われている明るくテンポの速い楽曲に変更されました。
アトラクションに乗っていると、思わずリズムに乗って口ずさみたくなってしまうメロディですよね!
・『イッツ・ア・スモールワールド』徹底解説!登場キャラクターと各エリアの見どころ、待ち時間、グッズ情報も
◆メリーポピンズ(1965)
シャーマン兄弟は、1964年に公開されたディズニー実写アニメーション映画『メリー・ポピンズ』のすべての挿入歌を作詞作曲しました。
世界的に高い評価を得た映画『メリー・ポピンズ』は、日本のディズニーランドでも、パレードやフリーグリーティングで会うことができたり、挿入歌「チム・チム・チェリー」「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」「お砂糖ひとさじで」がパークのBGMに使われていたりしますよね。
特に「チム・チム・チェリー」は、アカデミー賞で作曲賞と作曲歌曲賞の2つを受賞するほどの高評価を得ました。
実は、映画『メリー・ポピンズ』は、原作者であるP・L・トラヴァースが映画化に難色を示し、映画化の実現までに大変な苦労がありました。
映画『ウォルト・ディズニーとの約束』ではその様子を知ることができ、作中にはシャーマン兄弟も描かれていますよ。
トラヴァースの前で、陽気にピアノを弾きながら「お砂糖ひとさじで」を歌うシーンもあるので、ぜひチェックしてみてくださいね!
・【徹底解説】メリーポピンズのプロフィール!映画のあらすじ&ディズニーで会える場所は?
◆ジャングル・ブック(1967)
ウォルト・ディズニーが手掛けた最後のアニメーション映画『ジャングル・ブック』の挿入歌も、シャーマン兄弟が担当しました。
映画『ジャングル・ブック』は、ウォルトとシャーマン兄弟がタッグを組んだ最後の作品。
挿入曲数は少ないですが、いずれもテンポがよく、耳に残る楽しい曲ばかりです。
・ディズニー映画『ジャングル・ブック』を徹底解説!実写版とアニメ版はラストが異なるって本当!?
◆おしゃれキャット(1970)
ウォルト・ディズニー・カンパニー退社後、シャーマン兄弟がフリーランスとして最初に手掛けたディズニー作品が『おしゃれキャット』です。
挿入歌5曲のうち、3曲の作詞作曲をシャーマン兄弟が手掛けています。
・『おしゃれキャット』のキャラクター図鑑!マリーやダッチェス、ベルリオーズ&トゥルーズなど!
◆くまのプーさん完全保存版(1977)&ティガー・ムービー プーさんの贈りもの(2000)
くまのプーさんの2つの映画の挿入曲も、シャーマン兄弟が担当しています。
東京ディズニーランドにあるアトラクション、プーさんのハニーハントは、『くまのプーさん完全保存版』のストーリーをベースに作られているので、アトラクションに乗ればシャーマン兄弟の楽曲の世界観を体験できますよ♪
『ティガー・ムービー』は、低迷していたディズニー映画史上28年ぶりの大ヒット作とも言われていて、シャーマン兄弟の才能が存分に発揮されています。
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◆魅惑のチキルーム&ミート・ザ・ワールド
シャーマン兄弟は、ディズニーパーク音楽の制作も手掛けていましたが、魅惑のチキルームのメイン曲「魅惑のチキルーム」もそのうちの1曲です。
東京ディズニーランドにある魅惑のチキルームも何度か内容がリニューアルされていますが、「魅惑のチキルーム」の曲は歌い継がれています。
また、2002年に残念ながらクローズしてしまった東京ディズニーランドのアトラクション、ミート・ザ・ワールドの挿入歌「We Meet the World with Love」もシャーマン兄弟が手がけた楽曲でした。
日本のパークのために、シャーマン兄弟が楽曲を手掛けてくれていたかと思うと、嬉しい気持ちになりますよね。
・【TDL】魅惑のチキルームでスティッチ大暴れ!ハワイ語も学べるアトラクションまとめ!
まとめ
誰もが触れたことのある音楽を幅広く手掛けていたシャーマン兄弟。
東京ディズニーランドでも、シャーマン兄弟の楽曲を堪能できるので、ぜひ楽しんでみてくださいね。
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