【ジブリ映画】『コクリコ坂から』の舞台はどこ?コクリコ荘やカルチェラタンのモデルスポットを調査!
宮崎吾朗監督による長編アニメーション映画『コクリコ坂から』は、終戦後、高度経済成長期真っ最中の60年代の横浜が舞台となっています。日本の伝統と西洋の要素が混在した独特な建物がたくさん登場しています。もし、コクリコ坂の世界観が現実にあるのであれば、一度は足を運んでみたいですよね。この記事では、「コクリコ坂から」の舞台となったモデルスポットをまとめています。ぜひ、参考にしてみてください!
こんにちは、Reneです。
今回はジブリ映画『コクリコ坂から』の舞台となった場所についてご紹介します。
宮崎駿の長男で、『ゲド戦記』や『アーヤと魔女』などを手掛けた長編アニメーション監督・宮崎吾朗によるジブリ映画『コクリコ坂から』。
1960年代の物語である本作には、ノスタルジックな建物がいくつも登場しています。
これらの建物には実在のモデルがあります。
物語は横浜が舞台となっているので、機会があればぜひ足を運んでみてくださいね。
- モデルはここ!根岸なつかし公園”旧柳下邸”
・『コクリコ坂から』の舞台:②カルチェラタン
- 名前の由来はここ!フランス”カルチェ・ラタン”
- 建物の由来はここ!跡見学園
『コクリコ坂から』の舞台:①コクリコ荘
メルと祖母が営む下宿屋「コクリコ荘」といえば、海が見渡せる丘にあります。
メルが毎日自宅前から信号旗を掲げているのも、海を航行する船へのメッセージですよね。
コクリコ荘については公式からモデルになった場所について明言されてはいません。
しかし横浜が舞台になっていること、海が見渡せる場所を推測すると、根岸なつかし公園にある旧柳下邸が有力とされています。
モデルはここ!根岸なつかし公園”旧柳下邸”
洋館と和館が融合した近代和風住宅となっている旧柳下邸は、大正中頃に建設され今まで保存されています。
関東大震災や戦時中も家主とされていた柳下家を守っていた建物として、平成14年に横浜市指定有形文化財に認定されています。
こちらの建物は、和洋折衷の内装も見学することができます。
海が俊に家の中を案内したシーンも本編では流れていましたよね。
ストーリーと照らし合わせながら旧柳下邸を歩いてみるのはいかがですか。
『コクリコ坂から』の舞台:②カルチェラタン
海と俊が通う港南高校のクラブハウス「カルチェラタン」は物語の大事な役割を担っています。
古いという理由で、伝統と思い出の詰まったカルチェラタンが取り壊されることが決まり、学生が反対運動を始めます。
洋風な建築、ガラス窓や縦長の窓が特徴的で、コクリコ荘よりも洋風さが強い印象を受けますがどこがモデルになっているのでしょうか。
名前の由来はここ!フランス”カルチェ・ラタン”
フランスのパリには、カルチェ・ラタン(Quartier latin)と呼ばれる地域が実在します。
昔から学校が多くあり、活気あふれる若者が行き交う街として知られているところです。
学校の他には、文具屋、本屋、カフェなども多くあり、夜遅くまで賑わっています。
『コクリコ坂から』に登場する建物の名前は、そんな知性と若者の熱気を感じることができる街”カルチェ・ラタン”が由来とされています。
建物の由来はここ!跡見学園
映画『コクリコ坂から』の中に登場するカルチェラタンの建物をデザインしたのは、本作に企画者として携わっている宮崎駿氏です。
カルチェラタンは元々「明治自体に建てられた清涼荘という寄宿舎だった」というストーリー設定があります。
そして、そのモデルとなったと言われているのが日本人による初めての私立女子校として1975年(明治8年)に誕生した跡見学園です。
跡見学園は開校当時、国語、漢文、算術、習字、絵画、裁縫、琴曲、点茶、押花の9科目があり、後に英語教育、徳育、知育、体育などの教育にも力を入れ、良妻賢母女子教育の先駆けとなった学校でした。
映画本編で登場するカルチェラタンは、俊の所属する新聞部をはじめ数多くの男子生徒の集いの場となっていますが、取り壊し反対の運動を通して、汚れたカルチェラタンを女子生徒たちが率先して大掃除に参加します。
宮崎駿監督のストーリー設定とモデルになった女子校の寄宿舎を照らし合わせて考えてみると、女子生徒が使っていた建物が時代の流れとともに、男子生徒の集いの場へと変わっています。
しかし古くなったからという理由で取り壊しが計画されていたところを女子生徒の助けによって、建物が残されていく構図は深いですよね。
カルチェラタンの取り壊し反対運動においても、注目を浴びるパフォーマンスや討論会などで男子生徒はどうにかお偉いさんの目を引こうとあの手この手で動きますが、女子生徒の海は、カルチェラタンの掃除をして、綺麗なことを証明しようと提案します。
大掃除が決まってから、女子生徒が手際よく建物をきれいにしていく中、男子生徒たちは最初のうちはタジタジしています。
問題にぶつかった時、闇雲に抗うのではなく、知性と行動で解決していく女子生徒たちの姿はかっこいいです。
跡見学園が開校当時に掲げた教育方針”良妻賢母”が、昭和の女子生徒たちにも受け継がれていると読み解くことができて面白いですよね。
まとめ
この記事では、『コクリコ坂から』で登場する「コクリコ荘」と「カルチェラタン」のモデルとなった建物についてご紹介しました。
本編を観ただけでは知ることの出来ない意外な裏設定やモデルとなった建物と本編に登場する建物の繋がりを発見することができたと思います。
ぜひ、モデルスポットにいく機会がありましたら作品を思い出しながら散策してみてくださいね。
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