【ジブリ映画】『ゲド戦記』の原作を紹介!小説版のあらすじや映画との相違点は?
2006年公開のジブリ映画『ゲド戦記』の原作を紹介します。スタジオジブリによる長編アニメーション映画『ゲド戦記』は、宮崎駿の長男・宮崎吾朗が初めて手掛けた作品として知られています。原作は、SF・ファンタジー作家のアーシュラ・K・ル・グィンの「ゲド戦記」シリーズ。この記事では原作小説のあらすじ、魅力、映画と異なる点について徹底解明していきます!
こんにちは、Reneです。
今回は、宮崎吾朗による初の長編アニメーション映画『ゲド戦記』の原作小説について詳しくご紹介していきます。
海外の小説を原作として作られた映画『ゲド戦記』。
映画と原作小説の相違点などにも触れているのでぜひ最後まで読んでみてください。
- ◆小説版「ゲド戦記」はどこで買える?
・ゲド戦記の原作: 原作版のあらすじ
- ◆第1巻「ゲド戦記 影との戦い」
- ◆第2巻「ゲド戦記 こわれた腕環」
- ◆第3巻「ゲド戦記 さいはての島へ」【映画の原作はコレ!】
- ◆第4巻「ゲド戦記 帰還」
・ゲド戦記の原作:映画と小説の相違点
- ①主人公が違う
- ②アレンが旅に出る理由
- ③テルーにまつわる設定
・ゲド戦記の原作:原作小説「ゲド戦記」の魅力
ゲド戦記の原作:小説版「ゲド戦記」シリーズの概要
2006年公開のジブリ映画『ゲド戦記』の原作は、1968年から2001年にかけて出版されたファンタジー小説です。
作者は、SF小説「闇の左手」で世界的に認知されるようになったアメリカ出身のアーシュラ・K・ル=グウィン。
小説版「ゲド戦記」は、魔法がはびこる架空の世界“アースシー”を舞台に旅するアドベンチャー物語で「指輪物語」「ナルニア国物語」に続く三大ファンタジーとして知られています。
原作小説は以下のような構成になっています。
スタジオジブリによって映画化されたのは、本編の3作目である「ゲド戦記 さいはての島」となっています。
興味がある方は前後の小説もぜひ読んでみてくださいね。
◆小説版「ゲド戦記」はどこで買える?
映画の原作となった小説「ゲド戦記」は、日本語への翻訳版も出版されています。
出版元である岩波書店のホームページほか、全国の書店などで現在も購入可能です。
「ゲド戦記」全6巻セット:12,760円
ゲド戦記の原作: 原作版のあらすじ
それでは原作シリーズの各巻のあらすじを簡単に紹介します。
映画には登場しない名前も多数ありますが、映画に登場するハイタカの過去などがわかりますよ。
◆第1巻「ゲド戦記 影との戦い」
幼少期から魔法使いとしての素質を開花させていたハイタカは、偉人オジオンからゲドという真の名をもらい弟子入りをし、修行を重ね魔法を学ぶローク学院に進学します。
学院生活で優れた成績を修めるハイタカは、自分を過信し学院で禁止されている魔法を使い心の闇を呼び起こす影に脅かされるようになります。
そんな中、友人達と航海に出たハイタカは、道中に厄災に見舞われますが孤島に辿り着き、2人の老人と出会い半かけの環をもらいます。
そしてオジオンと再会し、「自分の心の闇から逃げるのではなく、向き合うのだ」と助言をもらい、今まで逃げ続けてきた“影”と対峙する決心を決めます。
結果、ハイタカと影の勝敗はつかず終わりますが、自分の影を“ゲド”と名付け自分の一部として生きる決心を決めるのでした。
◆第2巻「ゲド戦記 こわれた腕環」
少女アルハは、テナーという真の名も家族も奪われ無理やり大巫女としてアチュアンの墓所へ連れてこられてしまいます。
アルハの住むアチュアンの墓所には“こわれた腕環”の半分が保管されていました。
腕環が二つそろうとアースシーに平和が訪れると言い伝えられており、人々は片割れが見つかる日を待ちわびているのでした。
そんなある日、航海中に腕環の半分を老人達から授かったハイタカが、もう半分の在処を発見するために墓所へやってきますが、アルハに見つかってしまいます。
不審人物を見つけたアルハは、迷わず殺すべきでしたが、ハイタカから「アルハとして生き続けるか、テナーに戻るか。奴隷でいるか、自由になるか」と問われ、ハイタカと共に自由を掴む決心をします。
墓所と周りの砂漠の世界しか知らなかったアルハは、外の世界の素晴らしさに気付く一方で、あまりにも長い時間を奴隷のように扱われ自由を失っていたのかを知り悲しみます。
真に自立して生きていくことの難しさ、誰かに支配されて生きることのたやすさを語りかけているのでした。
◆第3巻「ゲド戦記 さいはての島へ」【映画の原作はコレ!】
エンラッド国王の息子アレンは、世界の均衡が崩れ始めているのは、何か邪悪なもののせいであることを父から聞かされローク学院にいる賢人達に知恵を求めます。
そこでハイタカと出会い、世界の均衡が崩れ始めている原因を突き止めるための旅に出ます。
魔法を満足に使うことができないアレンでしたが、大賢人ハイタカが目指す“災いあるところ”を目指して西の果てへと歩み進めるのでした。
その先にいたのは、世界が始まった時から閉じられていた扉を開けて生死の両界を行き来する男、クモ。
アレンとハイタカは、世界の均衡を取り戻すためクモが開け閉めする扉を永遠に閉じようと後を付けますが、死の世界は、闇そのもので人々はあてもなく彷徨い、しゃべることもなく、愛も絆も繋がりも一切ありません。
戦いの末ハイタカは、自分の持つ魔法の力を全て失ってしまうのでした。
◆第4巻「ゲド戦記 帰還」
ハイタカと共に自由を選んだことでテナーとして年を重ねていたアルハは、顔に火傷を負った少女と出会いテルーと名付け引き取ることを決めます。
そんなある日、魔法を完全に失い賢人ではなくなってしまったハイタカと再会します。
しばらくテナー達と暮らすことになったハイタカは、悪い人狩りにテルーが連れ去られそうになっているところを危機一髪で助け出します。
それからしばらくして、テナーはハイタカとテルーを連れて昔に親交のあった呪い師の見舞いのため遠出をすることになりますが、道中で魔法使い達に拘束されてしまいます。
そこで助けにやってきたのは、カレシンという名の竜。
カレシンは、「我が娘よ」とテルーに呼びかけ彼らを救い出したのでした。
テルーの先祖は竜であることが発覚し物語は幕を閉じます。
ゲド戦記の原作:映画と小説の相違点
それでは映画と原作の設定やストーリーの違いを何点か挙げてみましょう。
一部ネタバレを含みますのでご注意くださいね!
①主人公が違う
原作小説では、基本的にハイタカを中心に冒険の物語が展開されていきます。
「ゲド戦記」というタイトルの「ゲド」も、ハイタカの影ことなのです。
実は映画の主人公となったアレンが登場するのは第3巻のみ。
映画で重要な人物として登場するハイタカ、テナーがなぜ旧知の仲であったのか、ハイタカが旅をしていた理由などを深掘りするには原作小説の1巻、2巻を読む必要があります。
②アレンが旅に出る理由
映画では、アレンは混沌とした世界の中で精神を病んだことで父親を殺してしまい、逃亡するために旅に出た先でハイタカと出会っています。
一方、原作小説のアレンは世の中の均衡を取り戻すために学院へ足を運び、賢人であるハイタカと出会います。
アレンとハイタカが出会う経緯が、小説版と映画版では大きく違うのです。
クモによる均衡の乱れが、アレンの精神状態にも影響を与えていた設定は宮崎吾朗オリジナルのものであることがわかります。
③テルーにまつわる設定
物語で重要な鍵を握るキャラクター“テルー”ですが、映画ではアレンと同世代の少女として描かれています。
しかし、原作小説ではもっと幼い設定になっています。
また顔に負った火傷はコミュニケーションをとることもままならない程重症とされています。
ゲド戦記の原作:原作小説「ゲド戦記」の魅力
最後に小説版「ゲド戦記」の魅力について解説します。
原作小説の魅力は、力強い言葉で訴えかける「生と死」「成長」「心の闇」といったテーマにあります。
魔法を交えたファンタジーテイストの作品ですが、重みと深みのある作品ですよ。
「死を拒絶することは生を拒絶することである」
「自分がしなければならないことは、しでかしたことを取り消すことではなく、手をつけたことをやり遂げることである」
「自由は与えられるものではなく、選択すべきものであり、必ずしも容易なものではない」
など、作品の中には心に響く言葉がたくさん登場しています。
これらのセリフは一部映画でも使われていますが、もっと奥深いゲド戦記のメッセージを読み解くには、やはり原作小説は欠かせません。
まとめ
この記事では、小説「ゲド戦記」の概要、あらすじ、映画との相違点、魅力をご紹介しました。
ジブリによって映画化されたのは、壮大な物語の一部にすぎません。
映画を観て興味を持った方は、原作小説のより一層深みのある世界設定と心に響く言葉を楽しんでみてはいかがでしょうか。
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