【必見】ウォルト・ディズニーの歴史を解説!どんな人?ディズニーランド誕生秘話とその生涯
ミッキーの生みの親であり、ディズニーランドの創設者である「ウォルト・ディズニー」の歴史について解説します!ウォルト・ディズニーは何をした人?どんな人?と疑問に感じている方も多くいるでしょう。数々のディズニーキャラクターを生み出したウォルト・ディズニーの故郷・ディズニーランドの誕生秘話や、ウォルト・ディズニーの生涯についてご紹介します。
こんにちは!ディズニー大好きみーこです。
ウォルト・ディズニーの名前は、もはや世界中で知らない人はいないのではないでしょうか?
ウォルトはミッキーマウスの生みの親であり、夢にあふれたディズニーリゾートの創立者です☆
名前は知っているけど、そもそもウォルト・ディズニーって何をした人で、どんな人物なのかいまいちわからないという方も多いのではないでしょうか?
今回は、ディズニーランドの創立者であり、世界の大企業「ウォルト・ディズニー・カンパニー」の創業者であるウォルト・ディズニーの生い立ちやディズニーランド誕生までの歴史をまとめてみました!
・ウォルト・ディズニーの歴史:ミッキーの出会い
・ウォルト・ディズニーの歴史:アニメーター
・ウォルト・ディズニーの歴史:ディズニーランド誕生秘話
- (1)きっかけは家族
- (2)アニメーターから実業家へ
- (3)ウォルトの最後の夢
・ウォルト・ディズニーの歴史:遺したものとは?
ウォルト・ディズニーの歴史:生い立ち
1901年、ウォルト・ディズニー(本名:ウォルター・イライアス・ディズニー)は、アメリカ・イリノイ州シカゴで生まれました。
母は教師、父は貨物鉄道会社ユニオン・パシフィックの鉄道員でした。
特に鉄道を生業とするの影響により、ウォルトは幼少期から大の鉄道好きだったそうです。
またウォルトが幼いころから何度も居住地を移しているディズニー家。
ウォルトは変わりゆく環境の中で、絵を描くことを趣味とし、いくつもの絵を描きあげました。
様々な環境の中で育ったからこそ得られた高い感受性は、彼特有の才能の原点だったのかもしれません。
というのも、居住地を何度も移った彼は、様々な自然や動物の絵を描いたことで後のディズニーキャラクターや自然の描写へと繋がっていくのです。
また、生粋の鉄道マニアだったウォルトでないと、のちに自分が開業するテーマパークに「鉄道を走らせよう」などとは考えなかったでしょう。
高校生になっても絵を描くことへの熱は冷めず、夜間の美術専門学校に通って絵を学ぶようになります。
ウォルトの絵画の技術は徐々に上達し、のちに世界的に有名なミッキーマウスを生み出します。
ウォルト・ディズニーの歴史:ミッキーの出会い
若いころから図画などアートにおいて才能を発揮していたウォルト・ディズニーは、19歳で初となるアニメーション作品『ニューマン劇場のお笑い漫画』を手がけました。
1923年、22歳となったウォルト・ディズニーは、兄のロイとともに「ディズニー・カンパニー」を立ち上げ、『アリス・コメディ』や『オズワルド』などのアニメーションを製作します。
中でもオズワルドというキャラクターは、当時のウォルトにとって生命線ともいえるほどの稼ぎ頭でした。
ところが、この後悲劇が訪れます。
オズワルドを巡り、作品配給を担っていたユニバーサルスタジオとの間に金銭トラブルが発生!
たちまち両社の契約は決裂し、ディズニー側はオズワルドの版権・著作権をユニバーサルスタジオに渡さざるを得なくなったのです。
さらに、このトラブルを引き金にディズニー側で働いていた優秀なアニメーターたちが次々と引き抜かれていく事態に。
ウォルトの夢はもはや絶たれたといっても過言ではない緊急事態。
しかし、人生をあきらめかけたウォルトを救ったのは、思いがけない小さな生き物でした…。
1928年になると、ウォルト・ディズニーはオズワルドに代わるディズニーキャラクターを考案します。
当時、ウォルトが飼いならしたねずみを参考に、ミッキーマウスというキャラクターを誕生させたのです。
ちなみに、「ミッキー」という名前は、ウォルト本人ではなく妻リリアンが考案したんです♪
当初ウォルトが考えていた「モーティマー」という名前を気に入らず、「ミッキー」という代案を出したようですよ。
ウォルト・ディズニーの歴史:アニメーター
ミッキーマウスとともに再起をかけて立ち上がったウォルト・ディズニーは、歴史に残る数々の名作を打ち出しました。
またウォルトは、絵の動きや効果音などアニメーションの演出面でも大いに才能を発揮します。
彼の作る作品は次々と成功をおさめていきました。
ミッキーの初となる短編アニメーション『蒸気船ウィリー』においては、ウォルト自身がミッキーの声を担当。
そして、世界初の映像と音声が同期したトーキー映画のアニメ製作に成功させました。
1932年に入ると、世界で初となるフルカラーアニメーション『花と木』がアカデミー賞を受賞します。
さらに、1937年には世界初の長編アニメーション『白雪姫』が公開されました。
当時はフルカラーでの長編アニメは難しいと言われていた時代に大成功をおさめたウォルト・ディズニーは、世界にその名を残すアニメーターとなったのです。
さらに、1940年に公開された「ファンタジア」という作品の公開に際し、世界で初めて「ステレオ音響」による上映が行われました。
かつては正面にあるスピーカーから音を流していた映画館でしたが、この時初めて客席の周囲をぐるっと囲むようにスピーカーが配置され、オーケストラを生で聞いているかのような臨場感を実現させたのです。
ファンタジアの公開は当時世界中の人々を驚かせたそうですよ!
ウォルト・ディズニーの歴史:ディズニーランド誕生秘話
「カリフォルニア ディズニーランド・リゾート」を皮切りに、世界中に6個ものディズニーリゾートを誕生させたウォルト・ディズニー。
ウォルトがディズニーパークを手掛けるきっかけは一体何だったのでしょうか?
(1)きっかけは家族
2人の娘を持つウォルトは、子供たちを連れて遊園地やカーニバル、動物園などによく遊びに行っていました。
しかし、ある時回転木馬で遊んでいる娘たちを見ながら、自分はベンチにポツンと座っていることに気が付いたウォルト・ディズニー。
「なぜ、子供たちは楽しんでいるのに、大人たちは子供と一緒に楽しめないのだろう?」そんな疑問が湧いたのです。
ウォルト・ディズニーは、「親と子どもが一緒に楽しめる場所はないのか?」と考え、それこそがディズニーランド計画のきっかけとなったのです。
(2)アニメーターから実業家へ
これまでアニメーターとして数々のアニメーション作品を製作していたウォルト・ディズニーでしたが、ディズニーランドの建設計画を本格的に始動しました。
ウォルト・ディズニーは、有能なデザイナーを雇い、パークのコンセプトを考え始めます。
ディズニーランドの開発は、なんと15年以上の長い年月がかかりました。
そして、1955年7月18日、ついにウォルトの念願であった世界初のディズニーランド「カリフォルニア ディズニーランド・リゾート」がオープンしたのです。
ディズニーランドを完成させたウォルトは、ここからアニメーターから本格的な実業家へと変わっていくのでした。
(3)ウォルトの最後の夢
世界初となるディズニーランドの建設を成功させたウォルトは、今度はフロリダ州に広大な土地を購入し、「フロリダ ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート」の建設をスタートさせます。
しかし、ウォルト・ディズニーは第2のパークの完成を見ることなく、1966年肺がんにより65歳という若さで亡くなりました。
ウォルト・ディズニーは最後に「ディズニーランドは永遠に完成しない。世界に想像力がある限り、成長し続けるだろう。」ということばを残してその生涯に幕を下ろしたのです。
ウォルト・ディズニーの歴史:遺したものとは?
ウォルト・ディズニーは後世に数多くの功績を遺しました。
長編アニメーション映画の製作や、映画館の立体音響化、ディズニーランドの建設や、科学を結集した様々な最新技術のテーマパークへの実用化…。
彼が世界的にあげた成果を数えればキリがありません。
ウォルト・ディズニーが創始したディズニーカンパニーという小さなスタジオは、今や世界でも有数のコングロマリット企業として名を馳せています。
また、「新しいものを取り入れ続ける」という彼のポリシーは、現在ディズニー社で働くすべての人々に受け継がれ、今も新しい作品やアトラクションを開発し続けています。
そんな影響力が絶大なウォルト・ディズニー。
彼の原動力として強く残る格言があります。
「夢は実現できる」という言葉。
人によってはきれいごとだと思うかもしれませんが、ウォルトは現に、「夢の実現」という"自身最大の偉業"を彼自身が生んだミッキーマウスと共にやってのけました。
「信じれば夢はかなう」と説く数々のディズニーのおとぎ話が今も世界中に愛されているのは、ウォルト・ディズニーの遺志が作品に強く投影されているからではないでしょうか。
実際に彼は、自身の最も好きな映画についてインタビューを受けた際に「シンデレラ」と答え、「シンデレラの姿に自分を重ね合わせながら観てしまう。」と語っているんですよ♪
ウォルト・ディズニーの遺した数々の名言や作品、テーマパークの偉大性を実感できたでしょうか。
“リアルシンデレラストーリー”といっても過言ではない彼の壮絶な人生は、強く胸を打つものがありますね◎
まとめ
ディズニーランドの創設者ウォルト・ディズニーの歴史をご紹介しました。
ディズニーキャクラクターに命を吹き込んだようなリアリティあふれるアニメーションは、ウォルト・ディズニーなくして成功していません。
ウォルト・ディズニーのある日の「発見」がなければ、今のディズニーランドはないかもしれませんね。
歴史に残るディズニーキャラクターを生み出したウォルトの夢は、この先もまだまだ続いていくことでしょう。
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